夏目漱石 夢十夜 第三夜の解釈
現代文の授業で取り上げられた、
解釈が面白かったので紹介します。
夢十夜とは
『夢十夜』(ゆめじゅうや)は、夏目漱石著の小説。1908年(明治41年)7月25日から8月5日まで『朝日新聞』で連載された。現在(明治)を始め、神代・鎌倉・100年後と、10の不思議な夢の世界を綴る。「こんな夢を見た」という書き出しが有名。漱石としては珍しい幻想文学のテイストが濃い作品である。
「こんな夢を見た」から始まる物語が、
第一夜から第十夜まであります。
今回、授業でやったのは、
第三夜。
夢十夜でもっとも有名な話です。
3分ほどで読めます。
是非一度読んでからこの記事へ。
話の流れ
あらすじを書いておきます。
こんな夢を見た。
6才の子供を背中に負ぶって、田んぼに囲まれた路を闇の中歩く。
子供は自分の子であるらしく、また、目が潰れている。
我が子ではあるが、不安を覚え、どこかへ降ろそうと考えた。
目の前に大きな森が見えた。
別れ道が現れ、子供が「左が好いだろう」といったのでそうした。
盲目のくせによく知っているなと感じ。
また不安になった。
しばらくすると、
「丁度こんな晩だったな」と子供。
いやな感じがして、早く降ろしたくなった。
杉の木の前にきた。
「御父さん、その杉の根の処だったね」
「うん、そうだ」と思わず答えてしまった。
「文化(ぶんか)五年辰年(たつどし)だろう」
なるほど文化五年辰年らしく思われた。
「御前がおれを殺したのは今から丁度百年前だね」
自分はこの言葉を聞くや否や、今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩に、この杉の根で、一人の盲目を殺したという自覚が、忽然(こつぜん)として頭の中に起った。おれは人殺(ひとごろし)であったんだなと始めて気が附いた途端に、脊中の子が急に石地蔵(いしじぞう)のように重くなった。
こんな感じです。
解釈
この話は、様々な解釈を生んでいます。
授業で扱った解釈を紹介します。
田んぼと森の対立構造に着目します。
田んぼと森の対比その一、現在と過去。
主人公は、子供を背負いながら、
田んぼから森へ移動していきます。
これを、
現在から過去への移動と考えます。
田んぼ→現在
森 →過去
なぜ、このことが導き出されるのでしょう。
田んぼは文明化の象徴
田んぼというのは、
”耕された”土地のことを指します。
何を意味しているのか。
「耕された」を英語ではcultivatedといいます。
cultivatedは、culture(文化)に由来する単語です。
つまり、”耕された”田んぼは、
文明化が進んだ現在、と捉えられます。
このように考えると、
森は、文明化以前と考えられます。
主人公は、その森で、
100年前の子殺しを認識します。
抑圧された、”過去”を見るのです。
文明化について
日本に文明をもたらした象徴的な事件があります。
それは、
江戸から明治への文明開化です。
漱石は、この物語で、
文明開化以後から文明開化以前へと
さかのぼっていたわけです。
分かれ道=文明開化
「左が好いだろう。」小僧が命令した。
田んぼから森への場面転換。
主人公は、路に現れた二股で、
”左”に進みます。
フロイトは、
夢の中での「右」と「左」は、道徳的に解釈すべきだ。
と言っています。
分かれ道は田んぼと森の間に位置します。
このことから、
分かれ道は、
文明開化を意味しているといえます。
主人公は現在から過去へ進みました。
しかし、
時代は過去から現在へと進みます。
主人公が左へ進んだということは、
時代が”右”へ進んだということ。
「右」が示すもの
「右」は英語にするとright。
rightには、「正義」という意味があります。
時代は過去から現在へ。
分かれ道=文明開化
時代は、「右」=「正義」と進む。
時代は、文明開化を、
”正しいこと”として選択したことが描かれています。
田んぼと森の対比その二、意識と無意識
森に隠された”過去”
森の中で、
主人公は、自分の過去を知ります。
その過去は、
子殺しであり、隠された事実でした。
主人公は、森へ進むにつれて不安を感じます。
すると何(なん)だか知ってるような気がし出した。けれども判然(はっきり)とは分らない。ただこんな晩であったように思える。そうしてもう少し行けば分るように思える。分っては大変だから、分らないうちに早く捨ててしまって、安心しなくってはならないように思える。自分は益(ますます)足を早めた。
森の中には、
自分の中に押さえつけてきた
意識があったわけです。
そして、
抑圧するあまりに、
記憶から消え、”無意識”となっていました。
無意識へ近づく不気味さ
森は、人の手が介入していない未開の土地。
それに対し、田んぼは人によって開かれた土地。
田んぼから森への移動。
”身近なもの”から”得体の知れないもの”への移動。
そして、
森=抑圧された無意識
田んぼ=開放された意識
ここに、主人公は不安を感じたのでしょう。
フロイト的に言わせれば、
田んぼ=自我
森 =超自我 と言えます。(ここ曖昧)
漱石の二項対立
漱石は、このような
場所 / 近代化
場所 / 時間経過
といった、二項対立を作品中に織り込ませています。
結構盛り上がった授業
そこまで長くない文章で、
ここまで深読みできるものなのかと、
結構驚いて聞いてました。
耕された=cultivated=文明化 や、
右 = rigit = 正義 などは、
言葉遊びのようにも思えてしまいますが、
漱石は英文学を学んでいたということなので、
実際に考えられているのでしょう。
このほかにも、世の中にある
解釈は多岐にわたり、
深く掘り下げられています。
古典の底力を垣間見た気がします。
授業での教材:
漱石のリアル―測量としての文学
参考にしたサイトなど:
夏目漱石 『夢十夜』を分析する
『夢十夜』「第三夜」を考える
夏目漱石「夢十夜」 第三夜:朝日新聞デジタル
http://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20171008223943.pdf?id=ART0009676238
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
ではまた。