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夏目漱石 夢十夜 第三夜の解釈

現代文の授業で取り上げられた、

夏目漱石の『夢十夜』第三夜。

解釈が面白かったので紹介します。

 

 

夢十夜とは

 

夢十夜』(ゆめじゅうや)は、夏目漱石著の小説。1908年(明治41年)7月25日から8月5日まで『朝日新聞』で連載された。

現在(明治)を始め、神代・鎌倉・100年後と、10の不思議な夢の世界を綴る。「こんな夢を見た」という書き出しが有名。漱石としては珍しい幻想文学のテイストが濃い作品である。

夢十夜 - Wikipedia

 

 

「こんな夢を見た」から始まる物語が、

第一夜から第十夜まであります。

 

今回、授業でやったのは、

 第三夜

夢十夜でもっとも有名な話です。

3分ほどで読めます。

www.asahi.com

是非一度読んでからこの記事へ。

 

話の流れ

あらすじを書いておきます。

 

こんな夢を見た。

6才の子供を背中に負ぶって、田んぼに囲まれた路を闇の中歩く。

子供は自分の子であるらしく、また、目が潰れている。

我が子ではあるが、不安を覚え、どこかへ降ろそうと考えた。

目の前に大きな森が見えた。

別れ道が現れ、子供が「左が好いだろう」といったのでそうした。

盲目のくせによく知っているなと感じ。

また不安になった。

しばらくすると、

「丁度こんな晩だったな」と子供。

いやな感じがして、早く降ろしたくなった。

杉の木の前にきた。

「御父さん、その杉の根の処だったね」

 「うん、そうだ」と思わず答えてしまった。

 「文化(ぶんか)五年辰年(たつどし)だろう」

 なるほど文化五年辰年らしく思われた。

 「御前がおれを殺したのは今から丁度百年前だね」

 自分はこの言葉を聞くや否や、今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩に、この杉の根で、一人の盲目を殺したという自覚が、忽然(こつぜん)として頭の中に起った。おれは人殺(ひとごろし)であったんだなと始めて気が附いた途端に、脊中の子が急に石地蔵(いしじぞう)のように重くなった。

 

こんな感じです。

 

解釈

この話は、様々な解釈を生んでいます。

授業で扱った解釈を紹介します。

田んぼと森の対立構造に着目します。

田んぼと森の対比その一、現在と過去。

主人公は、子供を背負いながら、

田んぼから森へ移動していきます。

これを、

現在から過去への移動と考えます。

 

田んぼ→現在

 森 →過去

 

なぜ、このことが導き出されるのでしょう。

 

田んぼは文明化の象徴

田んぼというのは、

”耕された”土地のことを指します。

何を意味しているのか。

 

「耕された」を英語ではcultivatedといいます。

cultivatedは、culture(文化)に由来する単語です。

つまり、”耕された”田んぼは、

 文明化が進んだ現在、と捉えられます。

 

このように考えると、

森は、文明化以前と考えられます。

 

主人公は、その森で、

100年前の子殺しを認識します。

抑圧された、”過去”を見るのです。

 

文明化について

日本に文明をもたらした象徴的な事件があります。

それは、

江戸から明治への文明開化です。

 

漱石は、この物語で、

文明開化以後から文明開化以前へと

さかのぼっていたわけです。

 

分かれ道=文明開化

「左が好いだろう。」小僧が命令した。

田んぼから森への場面転換。

主人公は、路に現れた二股で、

”左”に進みます。

 

フロイトは、

夢の中での「右」と「左」は、道徳的に解釈すべきだ。

と言っています。

 

分かれ道は田んぼと森の間に位置します。

このことから、

分かれ道は、

文明開化を意味しているといえます。

 

主人公は現在から過去へ進みました。

しかし、

時代は過去から現在へと進みます。

 

主人公が左へ進んだということは、

時代が”右”へ進んだということ。

 

「右」が示すもの

 「右」は英語にするとright。

rightには、「正義」という意味があります。

 

時代は過去から現在へ。

分かれ道=文明開化

時代は、「右」=「正義」と進む。

 

時代は、文明開化を、

”正しいこと”として選択したことが描かれています。

 

田んぼと森の対比その二、意識と無意識 

 

 森に隠された”過去”

森の中で、

主人公は、自分の過去を知ります。

その過去は、

子殺しであり、隠された事実でした。

主人公は、森へ進むにつれて不安を感じます。

すると何(なん)だか知ってるような気がし出した。けれども判然(はっきり)とは分らない。ただこんな晩であったように思える。そうしてもう少し行けば分るように思える。分っては大変だから、分らないうちに早く捨ててしまって、安心しなくってはならないように思える。自分は益(ますます)足を早めた。

森の中には、

自分の中に押さえつけてきた

意識があったわけです。

そして、

抑圧するあまりに、

記憶から消え、”無意識”となっていました。

 

 無意識へ近づく不気味さ

森は、人の手が介入していない未開の土地。

それに対し、田んぼは人によって開かれた土地。

 

田んぼから森への移動。

”身近なもの”から”得体の知れないもの”への移動。

そして、

森=抑圧された無意識

田んぼ=開放された意識

 

ここに、主人公は不安を感じたのでしょう。

 

フロイト的に言わせれば、

田んぼ=自我

 森 =超自我 と言えます。(ここ曖昧)

 

漱石の二項対立

漱石は、このような

場所 / 近代化

場所 / 時間経過

といった、二項対立を作品中に織り込ませています。

 

結構盛り上がった授業

そこまで長くない文章で、

ここまで深読みできるものなのかと、

結構驚いて聞いてました。

 

耕された=cultivated=文明化 や、

右 = rigit = 正義 などは、

言葉遊びのようにも思えてしまいますが、

 

漱石は英文学を学んでいたということなので、

実際に考えられているのでしょう。

 

このほかにも、世の中にある

解釈は多岐にわたり、

深く掘り下げられています。

 

古典の底力を垣間見た気がします。

 

授業での教材:

漱石のリアル―測量としての文学

 

参考にしたサイトなど:

夏目漱石 『夢十夜』を分析する
『夢十夜』「第三夜」を考える
夏目漱石「夢十夜」 第三夜:朝日新聞デジタル

http://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20171008223943.pdf?id=ART0009676238

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

ではまた。