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『寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか』

タイトルは渡辺一夫による文章によった。

寛容のあり方を考えさせられたのでメモ。

 

不寛容な人間に対して,寛容になるべきか。

 

東浩紀を引用すると、

『二十世紀後半の人文思想は他者への寛容を積極的に説いてきた。〜〜他者への寛容は確かに重要だが、しかし寛容になるためには相手もあるていど成熟していないと困るというしごくまっとうな反論に対して、従来の他者論はほとんどなにも言い返すことができない。』(ゲンロン0 第2章)

 

渡辺一夫は、不寛容に対しても寛容であるべきだと説く。『不寛容は必ず薄れていくもの』であるとし、寛容を貫くという原則を守るべきである。

 

寛容人が持てる武器は、「説得」と「自己反省」しかない。『寛容は不寛容に対する時、常に無力であり、敗れ去るものであるが、それはあたかもジャングルのなかで人間が猛獣に喰われるのと同じことかもしれない。ただ違うところは、猛獣に対して人間は説得の道が皆無であるのに反し、不寛容な人々に対しては、説得のチャンスが皆無ではないということである。』

 

不寛容を制動する寛容は時代の推進力になる。むしろ、不寛容があることで時代が前進するのかもしれない。