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落合陽一はなぜ文脈を語るのか?「日本再興戦略」と「魔法の世紀」

落合陽一著の「日本再興戦略」が、1月31日に発売された。

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当初このブログで、この本のまとめ的なものを書こうと思ったがすでに素晴らしい記事を書かれた方がいる。本の内容を整理したい方はこちらも併せて読まれたい。

落合陽一『日本再興戦略』 | つぶやきコミューン

 

ということもあり、今回は要約をせずに落合陽一氏のスタンスについて書こうと思う。落合氏は、「魔法の世紀」という本も執筆している。「日本再興戦略」と「魔法の世紀」。この二つの書に共通しているものがあると気づく。それは、文脈の再確認。ここに落合氏のメッセージが隠されているのでこの記事で考察していく。

ここでいう文脈とは、「先人たちが歩んできた・成し遂げてきた歴史のこと」である。そして落合氏はこれに加え「私たちが踏み越えるべき歴史」を強く意識している。

落合氏がどのような文脈を語り、なぜ文脈を語るのかを考えてみる。

 

 

落合陽一氏について

①大学の准教授②メディアアーティスト③企業の経営者という3つの軸を持っている。その視座を活用し、経済・教育・文化・技術を語っていく。経済・教育・文化・技術を別々なものとしてとらえることはせず、密接にかかわりあう要素として捉えている。

魔法の世紀の文脈

この本の第一章「魔法をひもとくコンピュータヒストリー」ではタイトル通り、コンピュータの歴史が描かれる。CGやGUIなどを生み出した「映像の世紀」から、あらゆるものがブラックボックス化していく「魔法の世紀」までを圧倒的な情報量で整理していく。コンピュータからスマホの流れが「Dynabook構想」の系譜をたどっていったことを明らかにしていく。

それを踏まえた上で、メディアアートの文脈が語られている。人々に原理的な感動を与える計算機(メディア装置)をつくり出したとしても、プラットフォームに吸収されてしまう。革命的なアートすらも凡庸化されてしまい、コンテンツが全体批評性を失っていく時代だという。メディアアーティストは、『プラットフォームの同調圧に絶えざる技術革新をもたらす原始的な感動によって挑み続け』なければいけない時代になる。

日本再興戦略の文脈

日本が方向を見失っているのは、特質に合っていない西洋的価値観を目指してしまったからだ。経済成長期は西洋化でうまく行ったが、現代における個人の孤独を生み残してしまった。日本と親和性の高いものは何だったのか。400年続いた江戸時代をヒントに日本独自の価値観を振り返る。日本人が忘れてしまった東洋思想に立ち戻り”自然”の考えを思い出させる。

マスから人々を開放するテクノロジーの流れをどのように取り入れることが、日本のアップデートにつながるのかについてを考察する。

なぜ文脈を語るのか?

 今を生きる人間に求められているのは、先人たちの残してきた文脈を超えること。歴史を整理し、向き合うことで今やるべきことが明確になる。

例えばアートは、その絵がどのような文化的背景を持つのかを理解しなければ価値がわからない。松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」を理解するには東洋文化の理解が必要。

落合氏は「日本再興戦略」で、日本は東洋思想の大切さを認識するべきだと主張する。まさに、『わかりにくいものを頑張って勉強することで理解していく』姿勢は東洋的な価値観である。「魔法の世紀」と「日本再興戦略」。ともに作者が文脈を語るのは、落合陽一の根底に東洋思想がインストールされているからであり、読者に文脈理解を促すためでもあると言える。

「何か新しいことに挑戦するためには、先人に学べ。この時代に求められていることに向き合うために文脈を理解し、修行し続けることで踏み越えて行け。」こんなメッセージが落合陽一の著作からは伝わってくる。

 

関連リンク

落合陽一はなぜモノをつくるのか? 『美意識』 - choku

終わり。敬は省略させていただいた。

 

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魔法の世紀

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